郡山市の保育園の先生より「外遊びの現状」。0~2歳児:15分(1日)、3~5歳児:30分。「今までできていたお散歩ができないことに小さい子どもたちも疑問に思い始めている」放射能で外に出れない、遊べない子どもたち/町は、普通に歩いている人もいれば自転車に乗っている人もいる。マスクなしで歩く大人。「結局ここで生活していかなければならない」/無関心にならざるを得ない。孤立、見放されているという失望感。あきらめ/「逃げ出したいが行政に相談する窓口がない」/「子どもたちの"年間被ばく量"を減らしたい」1ヶ月でも違ったところに保養に行くだけでも違う。サマーキャンプや疎開など。保護者はそのような事業を必死で探している状況。需要はかなり多い/「できることなら、みんな福島から出ていきたいと思っている」/「爆発後の2・3日、子どもたちが外での水汲みなどを手伝ってくれた。今考えればなんてひどいことをさせてしまったのか・・・悔やまれる」/「これは戦争です。ただ普通の戦争は敵が見えるが、今回は敵が見えずどうしたらいいか」/「福島を忘れないでほしい」/「声を伝えて欲しい」【※6/17~22福島県(福島市、郡山市、二本松市、南相馬市)に行っていた矢吹のメモノートより福島県の方達の言葉】 ここに書いたのはほんの一部ですが、 たくさんの方たちの切実な声が書かれていました。
大変な災害を受け、「衣食住」の最低限の生活もままならない被災者の方たちがいまだ多くいる中で、『芸能』の必要性の是非が問われています。「まだ早い」「もっと先にやるべき重要なことがある」etc・・・それも真実。札幌でも文化施設やアーティストの方たちが集まり、被災者支援に何ができるのかを考える講演会が開かれるなど、自分たちにできることを模索している人がたくさんいます。「被災地」と一言でいっても、地域によって被害の大きさや置かれている状況は違い、必要とされる支援の形も様々なのではないかと思います。矢吹のメモを見ていると、津波の被害こそなかったけれど、"見えない敵"と戦っている福島市や郡山市では、子どもたちが外で遊ぶことができず部屋の中で過ごすしかない状況があり、文化的な支援が必要な場所の一つであるように感じました。 芸能には、人を楽しませる、喜ばせる、もてなす、癒しの力がある。
幼稚園での人形劇上演後、矢吹が先生にかけられた言葉。
「ひさびさに大笑いしました。本当に楽しかった。笑い声が溢れていることの大切さをあらためて実感しました。」
求めている人がいます。何かできることがありそうです。
3/26 山口中央高校演劇部 春公演
6 日前